2025.05.29
ペリカン石鹸にできること。
part1. ロングセラーの誕生
ペリカン石鹸のヒストリーを紐解く。いままで、そしてこれからのせっけんの役割とは?
戦後日本の復興と共に歩んだ、『ペリカン石鹸』の歴史。せっけんという日用品を通して、日本人の生活が見えてくる…。黎明期からロングセラー商品の誕生秘話までを、代表が語ります。
“泡の先に、笑顔はじける”をコンセプトに、さまざまなニーズに応えてくれる商品を次々に生み出す『ペリカン石鹸』。なかにはちょっと変わったせっけんがあったり、ユーモラスな商品が登場したりすることもある、アイディアにあふれる企業です。
そんな『ペリカン石鹸』の、歴史とクリエイティビティについて、代表取締役社長・渋井 伸和(しぶい のぶかず)が答えます。
終戦後間もない1945年。『ペリカン石鹸』の前身となる旅館業を営む中で、せっけんの仕入れと販売をスタート
渋井:終戦後の1945年、祖父母が東京の新橋で旅館を経営しはじめたのですが、そのなかで、当時高級品だったせっけんのニーズに気づいたということです。戦前より国内のせっけん製造の中心地は大阪で、終戦直後も大阪から仕入れていたのですが、それが大変よく売れる。いっそのこと東京で工場を立ち上げて製造できるようにしたらどうか、ということで、1947年に大阪からせっけん職人を呼び寄せて、生産を開始しました。
その後1949年に『株式会社東花(とうか)』という会社を設立、それが『株式会社ペリカン石鹸』の前身となり、1952年ごろに現在の社名となりました。創業当時の写真を見ると、揃いの半被に、社名と『ペリカン石鹸本舗』の文字が見えます。
創業当時は、せっけんは本当に貴重だったようです。体を洗うのに使うだけでなく、洗濯にも使っていたし、食器を洗うのにも使っていたようなので。今でこそ、食器用や洗濯用などいろいろな専用洗剤があると思うのですが、当時は何でもせっけんでまかなっていたようですね。
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ーどうして『ペリカン石鹸』という名になったのでしょうか?
渋井:ペリカンという鳥は、子どもや家族を大事にするといわれているそうです。最初は家族経営だったこともあり、せっけんは家族みんなで使うものだということもあって、シンボリックな意味でペリカンの意匠を使っていたと聞いてます。今でも、やっぱり工場も含めて、ファミリー力みたいなものは強い会社なんじゃないかな、と思っています。
※写真は、創業当初から昭和中期まで使用されていたマーク。ペリカンを和紋としてデザインしていたもので、複雑な意匠なので紋屋泣かせといわれていたそう。
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高度経済成長で汗を流す家族を支えたせっけん。やがて、お中元・お歳暮ギフトの代名詞に
ー創業当初の工場というのは、どのような規模だったのでしょうか?
渋井:最初は旅館業の傍らで、こぢんまりと始めたようです。その後は自宅兼工場で、ほぼ手づくりのような感じでつくっていました。そのうちに埼玉県蕨(わらび)市に土地を確保して、本格的な工場を建設。大きな機械を入れて、ある程度大規模に生産できるようになったんです。
事業が発展した背景には、日本全体が高度経済成長に沸いていて、個人消費もどんどん拡大していった、ということがあったと思います。せっけんの生産規模も大きくなってゆき、貴重品だったせっけんも、みんなが手に取りやすい身近なものになっていったのです。
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ー1964年が東京オリンピック、70年が大阪万博。その頃はどんなせっけんが人気でしたか?
渋井:当時は好景気を背景に、贈答品の需要がものすごく高まった時期でもあるんです。特にせっけんギフトは、家族全員で日常的に使うものですし、消耗品で、保存も利くということで大流行。せっけんは自分で選んで買うものではなく、お中元やお歳暮で届くものだといわれていたほどでした。そのなかで『ペリカン石鹸』はちょっと高級なものや、デザインにこだわって商品づくりをしていました。大量に消費する商品というよりも、贈られてうれしい、人にあげて喜んでもらう、という目線での商品開発を心がけていたようですね。実際に、昭和中期にはデパートへのギフト商品の卸売がメインになっていました。
贈答品市場で大ヒットしたのが、写真の『ローヤル』シリーズです。香りのついたせっけんや、ケースつきのせっけんがセットになっていたりするもの。創業者の一人であった祖母も、より素敵な商品をと、いろいろと考えていたようです。
昭和の後期には、高級志向の『ローヤルジェード』という贈答用せっけんも発売。会社を飛躍へと導いてくれました。
ーどの家庭にもこういったパフュームせっけんがあって、お母さんが大事に使ったり、タンスに入れたりしていた、というイメージがあります。
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せっけんは、個人が目的に合わせて選ぶ時代へ。より個性的な商品が求められる中で、起死回生の商品を模索
ー平成に入ると、どのように消費動向は変わってきたのでしょうか。
渋井:何でも固形せっけんで洗っていた時代は終わって、顔用・髪用・洗濯用など、さまざまな洗剤が用途に合わせてたくさん開発されるようになっていました。たとえば、髪は液体シャンプーで洗うし、洗濯も専用洗剤で洗うのが当たり前に。液体のボディソープも普及し、固形せっけんを凌ぐ勢いで売れていました。
せっけん自体も、肌質や香りなど、目的に合わせて各人が選ぶようになり、よりパーソナルなものになっていく中で、贈答用せっけんの需要は少しずつ下がってきたのです。
そんななか、1997年に火災により自社工場が全焼してしまいますが、1999年には埼玉県深谷市に移転して工場を新設することができました。
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渋井:2000年に入ると、贈答用せっけんに代わるコンテンツとして、ナチュラル志向の商品を発売するなど、新しい試みも始まりました。またせっけん需要の低下を受けて、以前はたくさんあった他のせっけん工場がどんどん淘汰されていったのもこの時期。残った我々が、大手化粧品会社のOEM生産なども手がけるようになりました。
そんななかで、現会長が開発したのが、現在に至るまで25年愛用いただいている、『泥炭石(でいたんせき)』です。
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真っ白が当たりまえのせっけんの世界で、あえて真っ黒の商品『泥炭石』を発売。当初は全く売れなかった!
ー『泥炭石』は黒いせっけんですね。今では類似品もありますが、2000年当時は珍しかったのでは?
渋井:せっけんが黒いだなんて!と、驚かれましたし、当初はぜんぜん売れませんでした(笑)。せっけんは真っ白だったり、クリアだったりするのが当たり前で、清潔感を大切にする商品だったので、いかに素敵に白さを演出するかで各社が競っていたころ。透明タイプで赤や黄緑なんていうものもありましたが、もちろんマットな黒なんて全然なかったです。
それでも、当時は工場のラインが空いてしまったりすることもあって、このままではダメだ、何か他でやらないことをやろう、っていう気概があったのだと思います。
泥炭石/748yen(in tax)
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アップデートをくり返しながら、『泥炭石』は超ロングセラーのブランドへと成長
渋井:つくってはみたものの全然売れなかったのですが、面白がってくれるお客さまもいて。香りをつけて、温泉地で売ったらどうかということで、旅館で試供品を使ってもらっていたら、珍しいし、使い心地や香りも気に入ったと、お土産として買ってくださる人がどんどん増えて。その温泉旅館で大ヒット商品になったんです!
そこから徐々に『泥炭石』の名が全国に広まって、ロングセラーに。現在はせっけんのみならず、シャンプーやコンディショナー、ボディスクラブなど、さまざまなラインアップでブランド展開。インバウンドや、新しい世代のユーザーにも愛していただいています。
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固形せっけんには、液体せっけんにはないメリットもいっぱい。その強みを活かす商品開発を、自社工場と共に
ー『泥炭石』は、真四角ではなく、少しラウンドした形なのですね。
渋井:昔は真っ平らだったのですが、持ちやすく、滑りにくい形を研究して進化させています。香りも国産のヒノキに変えたり、ロングセラー商品なのですが、少しずつアップデートをつづけているんです。
やはり、固形せっけんは形やテクスチャー、香りを自在に変えられますし、肌によい成分を加えたり、機能を持たせたりすることも比較的容易だというメリットがあるのです。
ー固形せっけんならではの良さは、他にどんなことでしょうか。
渋井:固形せっけんは、液体せっけんに比べるとずっと長持ちするので、経済的でもあります。
パーム椰子(やし)を育ててそのオイルを使っていますし、石油由来の合成界面活性剤を使ったりする必要もなく、包装にプラスチックボトルも必要ないため、Co2の排出量も抑えられます。
また、固形せっけんは、液体のせっけん類に比べると製造や、清掃の時の水の使用量が少ないです。そのため、水資源が保全できたり、排水も少ないため、水資源の観点からでも環境への負荷が低いと考えています。
液体せっけんは便利ですが、固形せっけんにしかできないこともたくさんあります。『ペリカン石鹸』には自社工場があるからこそ、固形せっけんのモノづくりを絶やさず、独自の商品企画をじっくりと続けてゆけるのです。
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PROFILE
渋井 伸和(しぶい のぶかず)
株式会社ペリカン石鹸 代表取締役社長
2010年に株式会社ペリカン石鹸に入社。副社長を経て、2016年代表取締役社長に就任。固形せっけんにできることを模索していく中で、パーツケアの商品を提唱。『恋するおしり』のシリーズ大ヒットに繫げる。趣味は料理。
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